翌朝、車と学生たちを残して伊藤一行と我々は楡林行き西安経由の飛行機で楡林へ。
夕方には楡林に到着し、まずは植林の朱さんの家族を訪ね、その後楡林学院に新たに着任した国際交流処の人たちと会食。
無事部局間交流の書類に調印完了する。
翌日はまず伊藤さんの提案で楡林大学博物館見学。
これがかなりすごいもので、伊藤さんの発案で、博物館館長の韓康先生にお願いして、世界最古最大級の城郭遺跡を最終日案内していただくことをお願いする。
この発掘により黄土高原のヘリのオルドスとの境界線は中華文明発祥の地であり、
世界最大級の城郭を持つ、おそらく黄帝の部族のものと思われる巨大な文明の地であったことが明らかになりつつあることを知る。
実は前日到着するはずだった日本からの一行は、各地で足止めをくらって、ようやくその日の夜に楡林着。
我々は先に楊家溝に向かい、彼らの到着を待つこととする。
夕刻、大岡先生、中田先生、高野さん、そして秋から楡林学院留学する奥詩織さんが到着。
翌日出発せねばならない中田先生は同じく翌日出発の赤城さんとともに、大急ぎで村の中を参観。おいしい農家の食事をいただき、窰洞の夜を楽しむ。
翌朝5時には出発し、赤城さんは帰国(これも実は波乱万丈)、阪大言語文化の若い女性の先生、中田さんは無事北京の言語学会に向かわれる。
そして大連で足止めをくらって、その日の夜にようやく楡林に到着された北島先生はようやく翌日の昼前、楊家溝に到着。
これで無事全員揃う。その後楊家溝でゆっくり過ごし、辣腕の書記に寺溝で食事をごちそうになり、寺溝の大変化を目の当たりにする。かつてよく出入りした西瓜瓜だった将さん宅も翌日訪問。
23日昼過ぎに楊家溝をあとにして石峁遺跡に向かう。
ちなみに、楊家溝の家は、昨年の豪雨による土砂崩れ被害で、庭と台所をすべてやりかえ、シャワー室も新たに拡張し、大変立派になっていました。
トイレはそのままですが、庭全体がレンガが敷き詰められて、より快適な場となりました。
夕方雨が降りそうな中参観した遺跡は本当に圧巻で、これからまだまだ数十年かかりそうな発掘作業が楽しみでした。
間違いなく世界遺産となり、中華民族の高揚に役立つことと思われます。
4500年前の動物の骨や、焼け落ちた柱の炭化した炭などがそのまま発見され、10キロ四方の巨大な城があったことが明らかになりつつあります。
で、翌朝早朝楡林を離れるのですが、その際、全員が新たに導入された金属探知のようなものにひっかかり、無事乗り込めたものの厳しい検査と数多くの没収をうけ、
後発の大岡先生、高野さんも同じ目にあって、高野さんは当初の便にのれず、上海で一夜を明かして翌日帰阪となりました。
実は後になって判ったのですが、上海で虹橋から浦東に移動乗り換えだった赤城さんもトラブルがあり、別便にのって帰られたとか。
我々は紅橋から浦東まで、無事豪華なホテルリムジンのような車で送ってもらうことができ快適でしたが、各所で乗り継ぎ、乗り換え、ボディチェックはかなり大変でした。
約一週間その事後処理に追われ、スーツケースはまだ自宅玄関にひろがったまま、という状況です。